教育者 Meets アーティスト「秋元 さなえ×川田 由紀」(第1話)絵が描けなくなったことで出会った、カタチのないアート作品

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教育者 Meets アーティスト 「秋元 さなえ×川田 由紀」第1話

絵が描けなくなって出会った、カタチのないアート作品

教材開発や探求学習を支援する助成プログラム】に採択された訪問保育ひかりの保育士・川田由紀さんが、教材開発にあたって何組かのアーティストと出会い、対話を重ねていく行程を可視化する、という企画が生まれました。

その名も「教育者 meets アーティスト」

今回のお相手は秋元さなえさん。
土地や風景と自分を重ね合わせることで、少しずつ浮き上がってくる「なにか」を拾い上げ、その道程そのものを作品として落とし込むアーティストです。
江別の商店街の一角で、美術アトリエ「とりむしさかな」を構えており、3歳から小学6年生を対象とした絵画造形教室をひらかれています。
今回は、その「とりむしさかな 大きいアトリエ」にお邪魔して、対談させていただきました。

助成:札幌市(2025年度 札幌市文化芸術創造活動支援事業)

秋元 さなえ
アーティスト

秋元さなえです。よろしくお願いいたします。

私も前回の斉藤幹男さんと同じく、AISプランニングアーティスト・イン・スクールの活動の一環で小学校で作品を作ったことがあったり、あとは子ども達を対象に、この場所で絵画造形教室をやっています。

川田 由紀
保育士

川田 由紀(かわた ゆき)です。よろしくお願いいたします。
フリーで保育士をやっています。

森嶋 拓
進行

森嶋です。よろしくお願いいたします。

まずは、振り返りといいますか、前回の斉藤さんとの対談で、川田さんが感じたことがあれば、改めてお聞かせください。

川田 由紀
保育士

そうですね、前回お話を伺って、斉藤さんの「縛られない感じ」と言いますか。
私も前回、「枠の中で、どこまでギリギリ挑戦できるか」ということをお話ししたのですけども。
そもそも、「枠ってなんだろう?」ということを、あの後もすごく考えさせられて、それで、すごい楽しくなっちゃったんですよね。

私自身の枠も外していただいた気がしますし、「見えてる世界が違うんだな」っていうのをすごく感じたので。
そういうことが表現につながるんだと思って、今日もすごく楽しみに来ました。

森嶋 拓
進行

なんというか、その、もしかしたらですけども。
アーティストって作品を作るんですけど、自分の作品を誰かの作風に寄せすぎると、ものすごく批判される世界だと思うんですよね。
ダンスでも、美術でも同じで「いや、これはあの人の作風でしょ」なんて指摘されたり。

だから、すごく苦しいことだとは思うんですけど、「自分が本当にしたいことは何だろう」とか「自分にしかできないことは何だろう」って、自分を深掘りすることが必要だったりして。
いや、そもそも「自分にしかできないこと」なんて本当にこの世に存在するのか?って話ではあるんですけど。

ただ、やっぱりその中でも、限られた枠の中だけで考えていると、多分みんなと作風が同じになっちゃうっていうか。
だから、意識的に枠からはみ出したりすることは、アーティストはよくやっていることなのかな?と思っていたりするんですけど。

秋元さんはそういった自分の作品や、そして枠についてどう思いますか?

秋元 さなえ
アーティスト

そうですね。
さきほど少しお話した”おとどけアート”の場合だったら、「こういう作品を作りたい」と主張するよりも……
たとえば子供が座っていて、先生方も座っていたら、じゃあ私は立っておこう、とか。
そういう、みんなとちょっと違うことをして、そこに隙間を作りたい、みたいな気持ちでやっていましたね。

森嶋 拓
進行

普段の、ご自身の作品の場合だと、どうなのでしょうか。

秋元 さなえ
アーティスト

普段の作品は、例えばこの……(資料を見せて)
普段はこういうことをしたりするんですよ。

この作品は、最終的に遊具の上で釣りをしたんですけど。
昔は川があったところに、今は公園になっているところが地元にあって。
その場所のことを調べて、釣竿を作って。

この作品のなかでは(モノを)作っているのは釣竿だけなんですけど、その釣竿を使って、そこ(昔は川だったけど、今は公園になっているその場所)で釣りのパフォーマンスをする。
それを撮影して、記録してもらって、そんな作品なんですよね。

川田 由紀
保育士

へぇぇ……。

秋元 さなえ
アーティスト

あとは、これとかも・・・(違う資料を見せて)

ある特定の場所のことを調べたり、関係する人の話を聞いたり。
そのうえで、そこの場所に実際に行って、「これをしなきゃ」ってことをするんです。

この作品の場合は、「渡れない対岸を股のぞきする」っていうアクションをしたんですよね。
※股のぞき=立った状態から身体を折り曲げて、股の間から風景をさかさまに見ること

これが(この行為そのものが)、作品なんですよ。

川田 由紀
保育士

……いま、一生懸命、どういうことだろう?と思っています。
もう、未知の世界過ぎて(笑)

秋元 さなえ
アーティスト

展覧会では、「モノ」を展示するんですよね。
その時に考えたこととか、出てきた絵とか、そこで拾ってきた素材とか。
例えば小麦畑を現場で見つけたときは、それと同じような時期の麦を農家さんからもらってきて、それで造形物を作るということもありました。

でも、そういう「モノ」自体は、実は作品ではなくて、本当の意味で私の作品というのは「巡った時間」と、「そこでとったアクション」なんですよ

川田 由紀
保育士

行動が作品ってことですか?

秋元 さなえ
アーティスト

行動が作品ってことですね。

この作品も枠で考えたら、まずは場所という枠があって、そこでしかできないことをやって、それを超えていくみたいな。
違うものを見たい。そういうことをしてるんですよね。

森嶋 拓
進行

結構、フィジカルっていうか……
身体で感じることが大事なのかなっていう印象なんですが。

秋元 さなえ
アーティスト

そうですね。
例えば、歩いたりとか……歩くことが最初、という場合が多いですね。

森嶋 拓
進行

股のぞきにしても、逆さまから世界を見ると、世界の見え方が少し変わるってことを聞いたことがあって。
だから股のぞきすると異世界というか……異世界って言ったら、さすがにおかしいか。

でも、なんだろう世界が少し違う風に見えるっていうことですよね。
それがまた……越えられない対岸というものに、なにか、かかってくるってことですかね。

秋元 さなえ
アーティスト

その時は、そういうつもりでやっているのではなくて、行けないから、向こうに行くためにやっちゃおう、みたいな感じです。
股のぞきが当初の目的ではなくて、実際に来てみたら「行けないわ、どうしよう」ってなって。
じゃあ、股のぞきしてみよう、と。

そうやって、実際にやってみたことで、結果的にそういう反転するイメージが表れてきたりとか、向こうとこっちっていう対局の位置関係が見えてきたりとか。
そっちを見てるんだけど、体はその場所を無視していることになっているという、自分の内面の部分が炙り出されてきたりとか。

そういうつもりはなかったのに、結果的にそうなってくるみたいな、そういうことが多いんですよね。

森嶋 拓
進行

一石を投じる、みたいな?
アクションしたことによって生まれること……
例えば、川に石を投げたら、それによって波紋が生まれていくと思うんですけど。

そういう感覚もあるんですか?

秋元 さなえ
アーティスト

そういう感じがありますね、まずやってみてから考える。
最初から見通しは立ってなくて。おとどけアートの時もそうだったんですけど。

おとどけアートの時は、(学校には)いろんな子がいますから。
例えば、作品を作りたい子と、作りたくない子と、それぞれがいるなかで。
形がなくて良いものや体験を作りたいと思って、学校のサイズを身体で測るということをやったんですよね。

川田 由紀
保育士

学校のサイズを身体で、ですか。

秋元 さなえ
アーティスト

自分の身体の尺というか、身体の寸法を使って、廊下の端から端までとか、1階から3階まで階段をぐるっと測って、ということをやったんですよ。

そのときに視察の方が、活動の様子を見に来てくださって。
皆さん、大人の方って、どうしてもやっぱり「何をしてるんですか?」「何のためにするんですか?」「これがどう作品になるんですか?」って聞かれるんですけど、その時はまだ私もわからないんですよね。

でも、子どもは身体感覚で「何が起こっているか」を感じているから。
自分のスケールと、他の人と繋がった全体のスケールで、ここからここまで測れるっていうこととか、自分が広がった感じがするとか、いろんなことを感じながらやっているから。
だからこそ、「また来るからね」って言ってくれるっていうか。

やってみなきゃ分からないことだから、視察の方とかにも「じゃあ一緒に入ってみてください」って誘うんですけど、「いや、いいです」って断られるんですよね。
なんでやってもいないのに、結果を知りたがるんだろう?とは思いました。

川田 由紀
保育士

うん、うん。

秋元 さなえ
アーティスト

やってくれればわかるのになぁ、って(笑)

そういったことを、自分で思うところまでというか、気がすむまでやっているのが「自分の作品」、みたいなことが多いんですよね。

森嶋 拓
進行

もともとは、いかがだったんですか?
美術とかアート……図工でもいいんですけど、そういったことへの向き合い方というのは。

秋元 さなえ
アーティスト

子供の頃は、絵を描くのがすっごい好きで。
幼稚園の時とかもスケッチブックを与えられたら、何日かで全部使っちゃう、みたいな子でした。

小学校の時とかは、友達と遊びに行っても、ひとりで端っこで絵を描いていて。
友達と一緒の空間にいるのは楽しいんだけど。

「さなえちゃんはいつもどうせ絵を描いてるから、ほっといていいよ」って。
なんとなく遊びながら、でも常に絵を描いてる人みたいな認識をされていて。

でも、何か描いてって頼まれたりとか、そういうコミュニケーションはあって、友達がいないっていうことはなくて、とにかくこの人は絵を描く人みたいに思われていました。

森嶋 拓
進行

それは、なんというか、おもしろい関係性ですね。

秋元 さなえ
アーティスト

でも実は、図工の時間というのは窮屈でした。先生が褒めてくれることもあったけど。

工作って時間が限られていたりとか、材料の制限があったりとか。
物理的な制限があったりするじゃないですか。絵だと自由にやれることが、工作ではできなくて。

あと、学校教育の中で、リサイクル工作とかに取り組むことがあって、先生が「これは教育上、良い取り組みだろう」と思ってやったこととかは、私にとっては全然つまらなかったりして。
自分ひとりでやってる方が全然いいのになー、と思ったりして。

なので、授業としての図工とかは、そんなに好きじゃなかったですね。

森嶋 拓
進行

そこから、アーティストとしてやっていくにあたって、どのように、というか……
もしかしたら、その境界とかもあんまり無かったのかもしれないですけど。
いつの間にかアーティストになっていたというか……

秋元 さなえ
アーティスト

あんまり、ないかもしれないです。
気づいたら、そう。なんていうんですかね。
AISプランニングのインタビューでも「いつから作家になりたかったんですか?」って聞かれて、「一度もなりたいと思ったことないです」と答えていて。

実際に、作家として作品を売るということは、していないんですよ。
ほとんどの作品は、自分で所持していて。
もしかしたら、また使うことがあるかもしれないから、手放したくないという気持ちがあります。

作品を売る必要がないから、だから「職業としてアーティストのキャリアを積む」みたいな意識がまずないです。

森嶋 拓
進行

へぇ~

秋元 さなえ
アーティスト

……なんですけど、作るのは続けたいから、「拠点を持つ」とか。
作ったら見てもらいたいから、「発表する」とか。

ずっと作り続けていくことを、どうやったらやめないで済むんだろう?
ということを探し続けていたら、今こうなっていました。

森嶋 拓
進行

なるほど、なるほど。
そういう感じなんですね。

じゃあちょっと質問を変えて、「絵を描くこと」からはじまり、今のこの「アクション」という作品につながるまでっていうのは、どういうプロセスがあったんですか?

秋元 さなえ
アーティスト

絵を描いてたのは高校生までで、高校では美術の学校に進んだんですよ。
美術部に入ったりして、公募展に出すようになってくるんですよね。

そうなると、なんかこうまた図工の時間みたく、評価の時間が始まるっていうか。
私はお客さんに見せたいだけなのに、なんで講評をされるのか。
もう一度、「上手くならなきゃ」いけない。
上手くなったら、それだけこうなんて言うんですかね、自分も高まっていくから、それは決して悪いことではないんだけど。

なんかこう描きたいもの・・・描画の技術はともかくとして、描きたいものに関して「こういうテーマはダメだ」とか言われてしまうと、うんざりしてきてしまって。
そういうこともあって、なんかちょっと「絵画の可能性って何なんだろう?」って。

森嶋 拓
進行

なるほど。

秋元 さなえ
アーティスト

私は作品を見てくれる人と繋がりたくて。
私と絵は繋がっていて、絵と見る人も繋がってるけど、私と見る人はじゃあどういう風に繋がったらいいんだろう?
なんかもっといい方法ってないんだろうか?
と考えた時に、私が絵画を続けても、その辺の可能性は見えないのかもとか思っちゃったんですよね。

それで、受験のシーズンになって。
でも、受験もとりあえず美術の方向に進もうと思って、教育大の岩見沢校の美術コースを受験することにしたんです。
高校の顧問のちょっとした勧めもあって。

もともとはとりあえず専門学校に入って、高卒じゃない道を作って、働きながら絵を描いていけばいいや、くらいに思っていたんですけど。

森嶋 拓
進行

そうなんですね。

秋元 さなえ
アーティスト

顧問の方が、「今の時代は大卒じゃないと就職が厳しい。美術の推薦で大学は進めるだろうから、とりあえず大学に行った方がいい」と、言ってくれたんですよ。
結果的にはそれが良かったんですけど、そういうことがあって、大学受験をすることにしました。

そうしたら、受験対策っていうのが始まって、デッサン。
あとは、その、公募展の入賞・入選っていう、ノルマができちゃったんですよね。
それでもっと描くのが嫌になっていって。

森嶋 拓
進行

嫌になっちゃったんですね。

秋元 さなえ
アーティスト

大学には入った。
でも受験に受かってから、描けなくなっちゃったんですよね。
「何のために描いたらいいんだろう?」って、描くことが全然楽しくなくなっちゃって。

研究室を決めるっていう段階で、絵はちょっともうやめとこう、ちょっと寝かせておこう、と思って。

現代美術の、何を作ってもいいっていう研究室があって、そこに入ることに決めたら、そこから道が変わっていった。
そこで、「こんな作家もいるんだ」「こんな方法もあるんだ」みたいなことを知っていきました。

森嶋 拓
進行

そうですよね。
(いわゆる、王道の美術作品を)作らなくてもいいんだ、っていうことを決めると、それですごい気が楽になるっていうことも、きっとありますよね。

「本当に作ってないな、この人」みたいな人もいますし。
そういう「THE 美術作品」みたいな、そういう作品を作ってない人は、本当に作ってないですもんね、徹底的に。

秋元 さなえ
アーティスト

そうですね。

先生はボイスの研究もされている方だったから、こう……
木を植えるっていうアクションとか、なんか言語じゃない言葉で喋るとか。

ドイツの芸術家 ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921–1986) 
20世紀の現代美術を代表する作家のひとりで、「社会彫刻(social sculpture)」という概念を提唱。
芸術とは単に物を作ることではなく、人間の思考や社会全体を変革する行為そのものだという考え方。
《7000本の樫の木》(ドクメンタ7, 1982)
《コヨーテ:私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》(パフォーマンス・アクションの記録写真集, 1974)

森嶋 拓
進行

うんうん。

秋元 さなえ
アーティスト

他の生き物と空間を共にするとか、そういうことから入る作品もあって。
なにか、「別の世界が見えてくる」っていうのがあるんだなっていう、それですごい楽にもなりましたね。

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