障がいのある人と表現活動をする、その手前にあるもの
今回のポテンシャルヒアリングでは、障がいのある人とともに表現活動に取り組んできた二人が、それぞれの経験や迷いを持ち寄りました。 異なる身体や感覚、言語、文化を持つ人と表現活動をすること。そこには、これまで知らなかった表現と出会える可能性があります。
この記録のポイント
- 01異なる身体や感覚と出会う
- 02「参加できます」を、どう伝えるか
- 03他者を、どこまで理解できるのか
ポテンシャルヒアリング・アーカイブVol.6
障がいのある人と表現活動をする、その手前にあるもの
今回のポテンシャルヒアリングでは、障がいのある人とともに表現活動に取り組んできた二人が、それぞれの経験や迷いを持ち寄りました。
実施日:2026年8月6日
異なる身体や感覚と出会う
異なる身体や感覚、言語、文化を持つ人と表現活動をすること。
そこには、これまで知らなかった表現と出会える可能性があります。
予定された型には収まらない身体の動きや、その人にしかない感覚から、新しい表現が生まれることもあります。
一方で、実際に活動を続けるなかでは、「誰もが参加できる場をつくる」という言葉だけでは捉えきれない、さまざまな揺らぎも生まれます。
「参加できます」を、どう伝えるか
主に広報面において、「障がいのある人が参加できること」を、どのような言葉・表現で伝えればよいのか。
情報保障として、手話通訳や字幕をどこまで整えられるのか。
活動の存在を届けたい人に、そもそも情報が届いているのか。
参加しやすい環境を整えることと、実際に参加したいと思ってもらうことは、同じではありません。
場を開くだけでなく、その入口をどこまで丁寧に設計するのか。そこにも、多くの試行錯誤があります。
他者を、どこまで理解できるのか
自分とは異なる他者の文化や経験を、どこまで理解してから活動を始めるべきなのか。
相手を尊重することと、自分の考えや表現を引っ込めることは、どこで分かれるのか。
関係を深めようと近づくことが、相手にとっては踏み込みすぎることにならないか。
一つひとつに、明確な正解があるわけではありません。
活動のなかでは、言葉が伝わらないこともあれば、意図とは異なる受け取られ方をすることもあります。
相手を知ろうと学び続けても、その人の経験をすべて理解できるわけではありません。
それでも、分からないから関わらないのではなく、分からなさを抱えたまま、対話を重ねていく。
その過程で、自分が普段使っている言葉や、表現のつくり方、場の進め方を見直すことになります。
表現が生まれる前に、必要な時間
例えば、通訳者に表現の意図を伝えるためには、自分にとって当たり前だった言葉を、一度ほどいて考え直す必要があります。
作品や成果を急ぐ前に、まず一緒に芸術に触れる経験を重ねることが必要な場合もあります。
すぐに何かをつくるのではなく、互いの言葉や感覚を知り、関係を築く。
「一緒につくる」という地点へ進むために、その手前で、長い時間をかけて関係や環境を耕すことが求められます。
見えにくい時間と費用
こうした「手前にあるもの」にも、時間と費用がかかります。
手話通訳や字幕、要約筆記などの情報保障。
事前の打ち合わせ。
異なる文化や障がいについて学ぶ機会。
参加者と出会うための広報や関係づくり。
参加者が集まらなかった場合にも、すでに通訳者への謝金や、準備のための費用が発生していることがあります。
障がいのある人も参加できる環境を整えようとするほど、通常のワークショップや公演からは見えにくいコストが加わります。
そのすべてを、参加費だけで賄うことは簡単ではありません。
助成金が終わったあとに
助成金によって活動を続け、試行錯誤を重ねられることもあります。
一方で、助成期間には終わりがあります。採択されなくなったあとに、どのように活動を継続するのかという課題が残ります。
ここで問われるのは、単に「この活動をどう収益化するか」ということだけではありません。
誰もが文化芸術に触れられる環境をつくることに、どのような社会的価値があるのか。
その価値を受け取っているのは、参加者本人だけなのか。
行政、文化施設、企業、福祉や教育の現場など、社会の側がどのように費用と役割を分担できるのか。
活動する個人や小さな団体の善意と持ち出しだけに依存せず、文化芸術に参加するための環境そのものを、社会の仕組みとして支えていく必要があります。
「できないこと」だけで捉えない
今回の対話では、「デフゲイン」という考え方も話題になりました。
デフゲインとは、ろうであることを「聞こえないことによる欠如」だけで捉えるのではなく、ろう者の持つ言語や文化、感覚、世界の捉え方が、人間や社会にもたらすものに目を向ける考え方です。
障がいのある人を、配慮や支援を受ける側としてだけ捉えるのではない。
視覚を中心としたコミュニケーションや、身体への繊細な注意、既存の言葉や場のつくり方を問い直す視点など、異なる感覚や文化との出会いによって、関わった人も多くのものを受け取ります。
もちろん、ろう者や障がいのある人を、一括りにして特別な能力を持つ存在として描くことはできません。
一人ひとりの経験や考え方は異なります。
それでも、「できないことを補う」という一方向の見方から離れることで、活動の関係性は変わります。
支援する側と、される側を越えて
誰かに表現を届ける側と、届けられる側。
支援する側と、支援される側。
教える側と、教わる側。
そうした固定された関係ではなく、異なるものを持つ人同士が、互いに学び、影響を受けながら、新しい表現や場をつくっていく関係へ。
障がいのある人とともに表現活動をすることは、すでにある表現を、参加できる形に調整して提供することだけではありません。
異なる人と出会うことによって、表現そのものの前提が揺さぶられ、これまでとは違うものが生まれる可能性があります。
活動する人も、一人の人間である
そして、活動を担う人自身もまた、一人の人間です。
相手を尊重したいという思いが強いほど、違和感を飲み込んだり、自分が我慢すればよいと考えたりすることがあります。
しかし、活動する側が疲弊し続ける関係を、インクルーシブと呼べるのかという問いも残ります。
相手のことを知ろうとすること。
理解したつもりにならないこと。
互いの立場や表現を尊重すること。
そして、自分自身の心身や表現も、同じように大切にすること。
答えではなく、揺らぎを持ち寄る
障がいのある人と表現活動をすることは、誰かのために何かを提供することだけではありません。
異なる人と関わるなかで、自分の言葉や価値観、表現のあり方を問い直し、互いが持つものを交換していく営みでもあります。
今回の対話では、結論を出すことよりも、普段は表に出しにくい迷いや揺らぎを、同じような経験を持つ者同士で言葉にする時間が生まれました。
簡単には分かり合えないからこそ、どう関わり続けるのか。
活動に必要な時間や費用を、誰が、どのように支えていくのか。
異なる身体や感覚との出会いから、どのような新しい表現や価値が生まれるのか。
表現が生まれる、その手前には、まだ言葉にならない多くの試行錯誤があります。
※本要約は、当日の発言内容をもとにAIを活用して作成し、森嶋拓(スパークプラグ・アライアンス)が内容を確認・編集したうえで、参加者の確認を経て公開しています。
※本稿は公開前に、ろう当事者の方にもご一読いただき、表現上の問題や明らかな事実誤認がないかを確認したうえで掲載しています。
アートのマネタイズを考える一年間とは?
「アートのマネタイズ」を、作品を売ることや収益を上げることだけに限定せず、表現活動を社会と接続し、持続可能な形で続けていく方法として考える一年間のプロジェクトです。
アーティストやアートワーカー、企業、行政、地域、教育・福祉関係者などが問いや実践を持ち寄り、対話やヒアリング、小さな実証実験を通して、新しい活動の可能性を探っていきます。
活動の一覧はこちら
https://artkids-net.com/am1/
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問いを持ち寄り、対話を重ね、走りながら考える一年間。わかりやすい答えに急がず、途中の問いも記録していくプロジェクトです。


