アートのマネタイズ会議 Vol.4
8月25日の会議から二日後、再び「アートのマネタイズ会議」を開催しました。 今回は、単発で参加する外部の方を招かず、このプロジェクトに継続して関わっているメンバーでの対話となりました。 前回は「このプロジェクトをこれからどう動かしていくか」という話が大きなテーマになりましたが、今回はそこから少し角度が変わり、 そもそも、自分たちが求めている「マネタイズ」とはどんな状態なのか。 というところまで、対話が深まっていきました。
この記録のポイント
- 01要約・分析・未来への種
- 021|要約
- 03「答えが定まっていないこと」を楽しめる場
要約・分析・未来への種
8月25日の会議から二日後、再び「アートのマネタイズ会議」を開催しました。
今回は、単発で参加する外部の方を招かず、このプロジェクトに継続して関わっているメンバーでの対話となりました。
前回は「このプロジェクトをこれからどう動かしていくか」という話が大きなテーマになりましたが、今回はそこから少し角度が変わり、
そもそも、自分たちが求めている「マネタイズ」とはどんな状態なのか。
というところまで、対話が深まっていきました。
1|要約
「答えが定まっていないこと」を楽しめる場
まず、ここまでプロジェクトに参加して感じていることを共有しました。
参加者からは、
一つの正解へ急いでまとめないこと
主催者自身も違和感や迷いを率直に共有していること
参加者の話を聞きながら、自分の考えもつくっては壊していること
「どこに着地するか分からない状態」そのものを楽しめること
などが、この場の特徴として挙げられました。
一方で、「答えがない」「成果がすぐには見えない」という状態は、誰にとっても心地よいわけではありません。
教育現場や企業などでは、むしろ、
「それによって何ができるようになるのか」
「どんな成果があるのか」
を求められる場面が多いという話も出ました。
分かりやすい「成果」がないものに、どう対価を生むか
そこから、子どもの造形教室や習い事の話へ広がりました。
水泳であれば「50メートル泳げた」。
ピアノであれば「この曲が弾けた」。
成果が比較的見えやすい。
一方で、アートの場で生まれている、
没頭すること
自分なりに考えること
正解のないものに向き合うこと
表現することを楽しむこと
自分の感覚を発見すること
といった変化は、短期間では見えにくい。
しかも、実際に体験するのは子どもでも、お金を払うのは保護者です。
チャットでも「子どもの習い事は親にとっては投資なので、成果が見えやすい方を選ぶ」という意見や、「自分の好きなことをしたり、何もしなくてもいい」という場に価値を感じて子どもを連れてくる保護者がいる、という具体的な実践が共有されました。
ここから、
価値を受け取る人と、お金を払う人が必ずしも同じではない
という、マネタイズの難しさが見えてきました。
「価値を翻訳する」という仕事
この話から、対話は「翻訳」へ進みました。
子ども本人が楽しんでいることと、保護者が価値を理解することは別です。
企業研修でも、参加者本人は「面白かった」「またやりたい」と感じていても、予算を出す企業側からは、
「それによって、どんな効果があったのか」
と問われます。
つまり、こちら側が感じている価値をそのまま伝えるだけではなく、
相手の文脈で理解できる言葉へ置き換える必要がある。
アートの価値を社会へ届けるうえで、この「翻訳」はかなり重要な役割なのではないか、という話になりました。
これは、このプロジェクトが当初から考えてきた「アーティストと社会の間に立ち、翻訳・編集するエディター」という役割ともつながっています。
でも、その翻訳を誰がやるのか
一方で、別の問題も見えてきました。
アーティスト自身が、
作品をつくる
教える
広報する
営業する
保護者や企業へ説明する
成果を言語化する
関係者をケアする
ところまで、すべて担わなければならないケースがあります。
参加者からは、芸能事務所で子どもを教えていた経験から、保護者への説明やケアまで講師に求められたという話がありました。
それをきちんと行えば、事業としてはうまくいくかもしれない。
けれど、
「それをすることが、自分にとって楽しいのか」
という問いも出ました。
また、自分は社会向けの翻訳が得意ではないけれど、翻訳者やマネージャーを別途雇えるほどの予算もないため、自分で担わざるを得ないという声もありました。
「価値を伝える努力が必要」という話だけではなく、
その翻訳の仕事自体を、誰が担うのか。
という構造の問題も見えてきました。
マネタイズできれば、それで成功なのか
今回、もう一つ大きなテーマになったのが、
「仕事になれば、何でもよいわけではない」
ということでした。
たとえば造形教室であれば、一定の需要があります。
生徒を増やし、講師を雇い、二店舗目、三店舗目へと広げていくこともできるかもしれません。
それは事業としては、一つの成功です。
でも、
「それが、自分がやりたいことなのか」
「それを続けて、自分は面白いのか」
という問題は別にあります。
商業舞台や芸能の世界についても、きちんと対価の出る仕事は存在します。
それによって生活をつくり、別の時期に自分の作品をつくるという生き方もあります。
一方で、仕事の中で主体性や自尊心が少しずつ削られていくような感覚を持つ場合もあります。
ここから、
「マネタイズできること」と「自分にとって望ましいマネタイズであること」は同じではない
という問いが浮かびました。
これは、当初の構想にあった「マネタイズに自分の核を売ってはいけない」「作品と商品にはグラデーションがあり、適した地点は人によって違う」という考え方ともつながっています。
アートとビジネスを、どこでバランスさせるのか
対話の中では、
アートとビジネスを両輪として考える
商業的な仕事と、自分の作品を分ける
別の仕事をしながらアーティストを続ける
小さな公演で資金をつくり、年に一度大きな作品をつくる
など、さまざまな生き方も紹介されました。
専業になることだけが正解ではない。
市場に合わせることだけが正解でもない。
純粋な作品制作だけを続けることだけが正解でもない。
どこに自分なりのバランスを置くのかは、人によって違う。
ここでも「正解は一つではない」という、このプロジェクトの特徴が表れていました。
教えること自体を「表現」として考える
終盤には、もう一つ興味深い話が出ました。
ワークショップや講座の設計、子どもとの場づくりなど、
「教えることそのものを、一つの表現のフィールドとして考えられないか」
という視点です。
優れたワークショップ実践があっても、その人が活動をやめれば、方法や知見ごと失われてしまうことがあります。
では、
ワークショップの設計
場づくりの方法
遊びのつくり方
人との関わり方
なども、作品や知的資源のように残したり、共有したりできないか。
これも今後考えてみたい一つの「タネ」として残りました。
2|今回の対話から見えてきたこと
分析
ここからは、会議で決定したことではなく、字幕とチャットを振り返ったうえでの運営側の分析です。
① マネタイズの問題は「価値」だけではなく「価値が届く構造」の問題
今回、かなりはっきり見えてきたのは、
価値があるかどうかと、その価値にお金が流れるかどうかは別の問題
だということです。
子どもが価値を感じていても、保護者には伝わらない。
参加者が価値を感じていても、企業には伝わらない。
アーティストには当たり前の価値でも、社会の別の領域では、その言葉自体が通じない。
だから必要なのは、
価値をつくること
+価値を見つけること
+価値を翻訳すること
+価値が流れる回路をつくること
なのかもしれません。
この方向性は、もともとこのプロジェクトが掲げていた「アートの強みを活かしたまま社会に流通させる」という考え方とも重なっています。
② 「良いマネタイズ」という新しい問いが必要なのかもしれない
これまでは、
「どうやってマネタイズするか」
を考えてきました。
しかし今回の対話からは、その前にもう一つ、
「自分にとって、どんなマネタイズなら望ましいのか」
という問いが必要なのではないかと感じました。
売上が増えること。
仕事が増えること。
知名度が上がること。
それだけでは測れない。
たとえば、
続けられるか
自分の核とつながっているか
主体性を持てるか
対価や関係性が公正か
自尊心を削られないか
その仕事を自分自身が面白いと思えるか
なども、「良いマネタイズ」を考える軸になりそうです。
③ エディターは「あると便利な人」ではなく、構造上必要なのかもしれない
今回の「翻訳」の話から、エディターの役割がより具体的になりました。
アーティスト本人が不得意なことを代わりに行うだけではなく、
アーティストが見ている価値と、社会側が見ている価値の間に立つ。
そして、
「この人がやっていることは、別の領域から見るとこういう価値ではないか」
と、新しい接点を発見する。
当初の計画でも、エディターは「翻訳・編集し、接続点や流通構造を考える存在」として置かれていました。今回の対話は、その必要性を具体的な経験から確認する時間にもなりました。
④ 「答えがないことを楽しめる」こと自体が、この場の資源になっている
このプロジェクトには、分野も立場も異なる人が参加しています。
そのため話は簡単にはまとまりません。
しかし、その「まとまらなさ」をすぐ解消せず、
他者の価値観に触れ、自分の考えをつくり直す
こと自体に価値を感じている参加者がいます。
これは、今後何かを一緒につくるうえでの重要な土壌になりそうです。
ただし、ずっと拡散だけを続けるのではなく、その土壌から少しずつ具体的な実践が生まれる「縦軸」も必要です。
⑤ マネタイズ会議そのものの役割が変わり始めている
今回振り返って、もう一つ気づいたことがあります。
これまでのマネタイズ会議は、新しい人も参加できる「入口」と、継続参加者が考えを深める「内部の対話」の両方を担っていました。
しかし、この二つは実はかなり違う役割です。
初めて参加する人がいれば、
プロジェクトの説明をする
前提を共有する
初参加者の声を拾う
内輪の話になりすぎないようにする
必要があります。
一方、継続参加者だけなら、
これまで積み重ねた文脈を前提に、その先から話を始めることができます。
今回、単発参加者がいなかったことで、比較的リラックスした状態から一歩深い話に入れた可能性があります。
もともとの事業計画でも、6〜9月の「仲間集めと共有」のフェーズから、10〜12月にはクローズドな対話を重ねるフェーズへ移る設計でした。
ちょうど今、その境界に近づいているのかもしれません。
3|未来への種
ここからは、現時点で見えている「次に試してみたいこと」です。
まだ決定事項ではありません。
種①|マネタイズ会議を「内部循環の場」にしてみる
今後のマネタイズ会議は、新しい人が最初に参加する入口ではなく、
このプロジェクトに継続して関わっている人たちが、現在地を持ち寄る場
として位置づけてみてもよいのではないかと考えています。
新しい人や外部の視点との接点は、
タネラボ
ポテンシャルヒアリング
テーマ別の対話
ゲストを招いた勉強会
など、別の場所でつくる。
そして、外から得たものを再びマネタイズ会議へ持ち帰る。
内部で考える → 外とつながる → また内部へ戻す。
そんな循環をつくれないかと思っています。
種②|「良いマネタイズ」を考えてみる
次の問いとして、
「あなたにとって、良いマネタイズとは何ですか?」
を考えてみても面白そうです。
反対に、
「仕事にはなるけれど、これは自分にとって違う」
という境界はどこなのか。
お金だけではない、自分なりの判断軸を持ち寄ることで、マネタイズという言葉そのものをもう少し立体的にできるかもしれません。
種③|翻訳する人・編集する人を、実際につないでみる
「アーティストが社会向けの言葉を全部つくらなければならない」という構造から、少し離れてみる。
誰かの活動に、
教育
経営
福祉
地域
コピーライティング
観光
研究
など、別の視点を持つ人が加わることで何が起きるのか。
すでに声をかけているさまざまなエディターと、実際の活動を少しずつ接続してみたいと思います。
種④|小さな旗をいくつも立てる
全員が一つのゴールを目指すのではなく、
「これを考えてみたい」
「これを試してみたい」
という小さな旗を、いくつも立てる。
教育について考えたい人。
インクルーシブな実践について考えたい人。
新しい商品を考えたい人。
自分の活動を業界の外へ届けたい人。
その旗に興味を持った人が集まり、必要なら少し試してみる。
前回考え始めた「タネ置き場」ともつながる考え方です。
現時点で
今回の会議は、前回ほど「プロジェクト全体をどうするか」が大きく進んだ回ではなかったかもしれません。
でも、その代わり、
「そもそも、私たちは何のためにマネタイズしたいのか」
というところが一段深くなりました。
お金になればよいわけではない。
でも、お金を避けて活動を続けることも難しい。
社会へ届かせたい。
でも、社会へ合わせることで自分の核を失いたくはない。
その間には、一人ひとり違う答えがあります。
この一年間で一つの「正解」を見つけるというより、
それぞれが自分なりの答えを見つけやすくなり、必要なときに他者の知識や経験を借りられる環境をつくる。
少しずつ、このプロジェクトが目指すものが、そんな姿に近づいてきているように感じています。
最後に、森嶋よりひとこと
しげまつ要約(AI要約)の中でも触れましたが、今回は単発参加の方がいらっしゃらない、クローズドな設計でした。
そのため、これまでの文脈を改めて説明したり、初めて参加する方が置いていかれないように気を配ったりする必要が少なく、僕自身の負担もかなり軽かったように思います。
そのせいか、逆に僕がついつい喋りすぎてしまった、という小さな反省はあります(しげまつにも指摘されました笑)。
一方で、今回出てきた、
「良いマネタイズとは、何か」
という問いには、とても考えさせられました。
僕自身、会議が終わってからもしばらく考え込んでいました。
何を大切にして、何を手放すのか。
お金になること。
活動を続けられること。
自分の表現を守ること。
社会に届くこと。
楽しいと思えること。
考えれば考えるほど、迷子になりそうです。
まさに、
「2歩進めた!」と思った翌日には3歩下がる。
もはやムーンウォークですね。
どんどん下がっちゃう(笑)。
でも、たぶんそれも含めて、この一年間なのだと思います。
さて、それはさておき。
やっぱり「旗をどうするか問題」については、まず僕から最初のきっかけをいくつか提案してみないとな、と思っています。
その一つとして、今回最後にヒントをいただいたのが、
「プレイワークの構造設計」
のようなものです。
たとえば、一つのワークショップがある。
そのワークショップの価値を、360度から徹底的に見てみる。
実践者だけではなく、必要なら研究者にも入ってもらう。
何が起きているのかを言語化する。
構造化する。
場合によっては再設計する。記録や記事や論文にする。
価値を最大化する。
そして、社会に届くように翻訳する。
つまり、
「このワークショップ、ものすごく良いんですよっ!!!」
という一言を、いろいろな角度から“多言語化”してみる、ということかもしれません。
教育言語。
企業言語。
福祉言語。
研究言語。
地域言語。
講師本人も気づいていなかった価値や言語が、他者の視点によってボロボロ出てくる。
そんなことができたら、かなり面白い。
そして、その価値が見えてきたら、今度は社会との接続を考える。
つまり、価値を見つけて終わるのではなく、
見つける → 言葉にする → 磨く → 社会につなぐ
ところまでやってみる。
そんな「ワークショップ旗」が一本あってもいいのかな、と今は考えています。
ほかにどんな旗が必要なのか、旗そのものをみんなで考える会議をやってみましょうか。
集まる前に各自で考えてもらって、一旦フォームとかで投稿してもらおうか・・・
この辺りも、まだアイデアのタネの段階です。
アートのマネタイズを考える一年間
問いを持ち寄り、対話を重ね、走りながら考える一年間。わかりやすい答えに急がず、途中の問いも記録していくプロジェクトです。


