CONTE Ⅲ フォーラム 「ダンスを通じた表現教育の可能性」
福岡小百合先生のWSを終えて思う 「ダンスを通じた表現教育の可能性」
写真:yixtape
2026年2月13日~14日に、大阪の追手門学院中・高等学校より福岡小百合先生をお招きして、トークイベントとワークショップが実施されました。
主催は振付家の平原慎太郎さんが代表を務める株式会社クラネオ、スパークプラグ・アライアンスは共催として一緒に運営を行いました。
会場となったのは、実験施設ZOKZOKの4F、フィジカルアトリエCONTEⅢです。
2月13日に開催されたトークイベントでは、福岡先生がこれまでに取り組まれてきた「ダンスを通じた表現・コミュニケーション教育」についてお話しいただきました。
追手門学院高等学校では、2014年にダンスと演劇を通して表現力やコミュニケーション力を育成する「表現コミュニケーションコース」を立ち上げました。
そこで福岡先生は、ダンスの観点から表現教育を実践されてきました。
※現在は、表現コミュニケーションコースとしては生徒募集が停止されているとのこと。
その「表コミュ」では、日常的にダンスや演劇を授業のなかで学ぶだけではなく、現役の振付家や演出家を招いた卒業公演を実施していました。
そこで、平原慎太郎さんも振付家として参加し、生徒と共に作品をつくった経験もあって、今回このような場が実現しました。
「人と人をつなげる人材」の育成
とはいえ、「表コミュ」は学術的、あるいは専門的にプロを目指してダンスや演劇を学ぶことが目的ではなく、表現を通して「人としてのコミュニケーションスキルを育むこと」が主目的になります。
実際に生徒も、「ダンスを上達させたい」というよりも、「人として変わりたい」という動機を持った人が多かったそうです。
(ですが、結果的にはプロとして活躍している卒業生も、たくさんいらっしゃるとのこと)
目標設定は段階的に設計されており、
1年生で「自分を知る」、
2年生で「他者を知る」、
3年生で「社会を知る」
というプロセスを経て、最終的には「人と人をつなげる人材」の育成を目指しているそうです。
他者とわかちあうことや、ひらかれた身体を心がけることなど、お話の中での気づきが多く、参加者の皆さんも積極的に質問をするなど、熱心に参加していた様子が印象的でした。
「ひとりではできない身体表現」から生まれる参加者の絆
翌日のワークショップでは、ペアに分かれてマッサージをしあうところから始まり、身体と身体の触れ合いに少しずつ気持ちと身体を馴染ませていきました。
続いて、全員で空間をランダムに歩きながら、すれ違う相手と目を合わせたり、ハイタッチを交わしたりするなど、動きながら自然に他者と関わっていきます。
再びペアワークになると、互いの身体を預け合いながら、ひとりでは成立しないバランスを探ったり、風船をつかって動きのイメージを共有したり、どんどん「ひとりではできない身体表現」を展開していきました。
はじめは緊張した様子だった参加者たちも、時間の経過とともに表情がやわらぎ、笑い声や歓声が自然と生まれる場へと変化していきました。
ここからはインタビュー形式で、福岡先生とのやりとりを少し紹介していきます。
おつかれさまでした。
あの、今日の感想として、当たり前っちゃ、当たり前なんですけど……ああやって身体を合わせると、仲良くなりますよね(笑)
ワークショップが終わった後の皆さんの表情とかも、すごい良かったですね。
さっき、コンビニに行こうと思ったら、参加者の方が外でもずっとお話していて。
話したい気持ちが止まらなかったみたいで、凄いなと思って。
私、「一般体育」の週1時間のダンスの授業を、高校1年生の4クラス持っているんですけど、この前最後の授業があって。
「この授業があったから、知らない子とも、仲良くなることができました。」っていう声が結構でてきて。
へぇ、それはいいですね。
そうじゃなくて、今はもうゲーム感覚でやった人とペアになりましょう、って。
そうするといろんな人の表現を見ることもできるし。
コミュニティ醸成の基盤となりうる、身体表現の可能性
でも、手法としてやっぱりそういう結果を生み出しやすいものなんだなっていうのは、改めて私も実感しているところがあります。
そうですよね。
なんというか……みんなで今日みたいなダンスをしたら、職場の環境とかもちょっと良くなりそうっていうか(笑)
例えば、お昼休みに一緒に踊るだけで……いや、目を見てハイタッチするだけでもいいと思うんですけど、やっぱり、どうしても業務的な会話しかないとか、話さなきゃいけないから顔を合わす、だけじゃなくて。
でも、大人って遊べないですよね、そういうことを閃く人もなかなかいないとは思います。
それを聞いて思い出したんですが、海外の学校で、先生が教室の前に立っていて。
それで、生徒はグータッチか、ハイタッチか、ハグだったか、それぞれ好きなものを選んで、先生と一瞬だけ息を合わせてから教室に入っていく、みたいな習慣を見たことがあって。
そんなんでも、職場に習慣としてあるだけで大分違うかもしれないですよね。
でも、日本だとそういうのを飲み会だけで埋めようとするというか。
実は全然グータッチだけでも済むっていうか。
もちろん文化的背景の違いとかはあるんですけど、平均年齢が若い会社とかなら日本でもアリな気がしますよね。
グータッチしてから飲み会とかの方が、さらにいいかもしれないですし(笑)。
ちょっと、今日のようなワークショップしてから飲み会とか(笑)。
そういう方が楽しいですよね(笑)。
やっぱり、身体で関わっていくということが、ひとつ大切なことだと思っていて。
今日もワークショップの前半とか、マッサージだけとか、相手の動きをコピーをしていただけで、会話はないというか。
もちろん動作の中での最低限の会話はあるんですけど。
身体がほぐれて、身体でなにかを共有することができれば、自然と安心するし、それは言葉で「緊張しないでください」みたいに言われるよりも、何倍も効果があるというか、早いんですよね。
没頭体験の先にある本質的な学び
僕はアーティストが作品をつくる過程に立ち会うことが多いんですが、リサーチから問いが生まれて、それを作品にしていくプロセスとか・・・
なんていうか、こういうことがもっと社会に反映されても、良いんじゃないかと思っていて。
ネットショップで商品を販売する仕事とかもしていたのですが、同業他社のモノづくりとかを見ていると、売れるものを作ろうとしたり、売れるものを安くして売ろうとしたり。
それって、モノづくりの本質から、少しずれているんじゃないかと思うことがあって。
「アートとモノづくり」も繋ぐことができたらいいのにな、なんて思ったりもするんですよね。
これまではあまり気づいていなかったけど、アートの活動のなかで、実は社会にとっても、とても大切なことをやっていたんじゃないかな、なんて思ったりして。
そういう意味で、まだ全然まとまっていないのですが、子どもの頃からそういう作品づくりの機会に触れてもらえたら、何か変わるんじゃないかなって思ったりして。
プレイフル・ラーニングの提唱者である上田信行先生と、もう3年くらい一緒にワークショップをやっていて、この前も大阪万博のあとに100人くらい集めてワークショップをしたんですよね。
そこには、学校関係者や企業関係者など、色々な背景を持つ人が参加してくれて。
プレイフルというのは「本気になる」という意味で、没頭体験をすること。
それと、学習環境デザインという言葉も仰っていて、「子どもたちなんて、学びの時間に新聞紙を1枚床に置いたら、ひとりで遊びほうけて、どんどん探求して遊びを作っていくよね。そういうところに、学びの本質ってあるよね。」ってことを言っているんですよね。
うわぁ、素晴らしいですね。
大人に向けてプレイフル・ラーニングをやるっていうときに「Unlock your potential」、つまり自分の可能性を解放していく、高めていこうっていうことを言うんですけど。
ところが、自分では気づいていないのか、没頭体験をしていないっていう人が多いんですよ。
私たちはアートもやっているし、スポーツもやってきたので、フロー(没頭)体験とかも経験してきたし、集団で「優勝に向かってやります!」みたいなチームビルディングも、私自身は人生の中で得られてきたと思うんですけど。
この年になってたくさんの人に出会うと、「そういう体験をしてきていない大人って、いっぱいいるんだ」ってことに気づかされて。
そういう感覚を、大人になってからも得られる場は必要だと思うし、それが結局ビジネスにおいても活きてきますよね。
何か「新しいものを作っていく」というときの、集中の入り方とか。
なので、最初は子どもに向けて考えられていたんだけども、今は大人たちともやれることを考えていくというのは、すごく大事だと思っています。
そういう、没頭体験が少ない大人って、何歳くらいの方が多いとか傾向があるのですか?
40、50代の女性に「こんな体験はじめてです!」って言われることもあったり、あとは、没頭体験をしたことがない人もいれば、忘れているっていうパターンもあります。
体験した人の中には「昔の自分に戻った気がした」とか「子供の時の記憶を思い出しました」っていう人もいるんですよ。
何のために学校に行くのか。変わっていくシステムと、変わらない学校の役割。
働き方改革の影響で、部活動も民間委託にどんどん変わっていて、もちろん働きやすくなっていたり、負担は少なくなってきてはいるんですけれど。
その場合は技術指導に加えて、態度的な部分の指導も担ってはくれるんですが、生徒も使い分けるんですよね、日常の学校の自分と部活動の自分を。
だから、日常と部活動が接続されなくなっていて、スポーツを楽しむという面では目的は叶っているんだけど、教育の目的とは少し離れてきているのではないか、と感じることもあります。
部活動というコミュニティを通した没頭体験が、物理的にもできなくなっているというのも事実で、だから今、学校としては学校にいる時間の中で没頭体験ができるようにシフトしてきてはいます。
探究学習とかもそうなんですけど。
少子化で部員が少なすぎて、試合に出られない部活動とかも増えていますもんね。
そもそも部活に入らないで、放課後はバイト中心の生徒も増えているでしょうし、部活動をどう運用していくかは現代の大きなテーマですよね。
クラス行事も働き方改革の影響を受けていて……昔は運動会に向けて、5〜6メートルの大きなハリボテをみんなで作るような、「行事にも命を注ぐ」みたいな学校だったんです。
でも学業を優先するために、そうした時間は徐々に削減されていきました。
当然、子どもたちからは「そういう時間がほしい」という声が出ますよね。
それでも学校は学力担保のために、学習時間を確保しようとする。
ただ、学力のための時間を増やしたところで、学びへの意欲がなければ、学力向上という結果に結びつかないんですよね。
なるほど、時間を増やすだけじゃ、たしかに難しいですよね。
学校に通うモチベーションにも影響がでそうですよね。
だから今は、そういう時間は減ってはいるんですけど、五教科とか英語の中でも、もう少し能動的に学べる仕組みをつくろうとしている最中で。
全国規模なのかまではわからないのですが、学校に来ている時間だからこそやれる没頭体験だったり、集中できる機会を学校としては提供したいよね、という頭にはなっているんです。
それが現実にどこまでできているかは分からないですけど、塾がこれだけ増えてくると、受験指導では勝てないんですよね。
そうすると、じゃあ何のために学校に行くのか、というのは子どもも親も考えますよね。
だからやっぱり、学校でしか得られない体験、例えば青春体験なんかもそうかもしれないんですけど。
部活動やクラス行事でやってきたようなことが授業でできたらいいな、という方向にシフトしつつあると思います。
教育とアーティストのポテンシャル
そろそろ最後の質問にしたいのですが……僕らアーティストとか、アート関係者が教育の現場でできることって、どんなことがありますか?
学校組織の中に、アーティストに入ってもらっていたんですよ。
もちろん全部がそうじゃなくてもいいんだけども、立場上、言わなきゃいけないことっていうこともある。
それは、たしかにそうですよね。
先生が言ってきたことと違うじゃん、みたいなことは当然起こるし、それでいいと思っていて。
どっちを信じるかは自分で決めればいい話なので。
そういう価値観が揺さぶられる体験って、やっぱり外部の人が入ることで起きるし、信じてきたものが一度崩れるからこそ、新しい選択肢が出てくる。
そこに意味があると思います。
うんうん、僕も価値観を揺さぶられ続けてきたところがあるので(笑)
よくわかります。
アーティストのいいところって、新しい価値をつくろうとしている姿勢だと思うんですよね。
これからの教育に求められていることって、コピー&ペーストじゃないんですよね。
もちろん、それもやるんだけど、そこにどうクリエイティビティを加えるかだと思っていて。
ゼロから価値を生み出すということの本質を、アーティストは体験として知っているから、そういう人から出てくる言葉とか、導き方っていうのはすごく、なんていうか泥臭いんですけど、そういう過程もすごく大事で。
これからの時代に、ビジネスでもアート思考を取り入れられたりしていると思うんですけど、結局そういうアーティストが大事にしてきたマインドセットみたいなことが、これからの時代は一番必要になってくるんじゃないかな、って思います。
うんうん。
それは、人間とは何かということをずっと見ている存在だと思うんですよね。
ヒューマニティみたいなところを掘り下げている専門職というか、ものづくりの専門職でもあるし。
そういう意味で、これからの時代の教育には本当に必要な人たちなんだなと感じます。
だから、教育の現場にもどんどん出向いて、そういう機会が増えていく方がいいと思いますし、教育ってもはや教員だけで成立する時代でもなくなっているので。
社会や地域、家庭と一緒に関わりながらやっていくことが必要だと思います。
学校だけに預けていても難しいし、地域として場をつくっていくことも大事だと思います。
学校じゃないからこそできることもたくさんあると思うので、そこはバランスを取りながらやっていくのがいいのかなと。
とても勉強になりました。
本日はどうもありがとうございました。


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